朗読 日本童話名作選「でんでんむしのかなしみ」
商品説明
〜日本童話の世界を牽引した、九人の作家たち〜
![]() | 芥川龍之介 (1892〜1927年) 東京市京橋区生まれ。東京帝大在学中に作家活動を始める。大正4年、「羅生門」を発表。翌年「鼻」が夏目漱石に絶賛される。大正6年から短編小説を次々に発表。 大正12年ころからいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作品が現れ、晩年の「歯車」「河童」などへと繋がって行く。 |
![]() | 宮沢賢治 (1896〜1933年) 岩手県花巻市生まれ。日本の詩人・童話作家・農業指導者・教育者。郷土岩手の地を深く愛し、作品中に登場する架空の地名・理想郷の「岩手(いはて)」をエスペラント風にしたイーハトヴと名づけた。その空前・独特の魅力あふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家とされるようになった。 |
![]() | 有島武郎 (1878〜1923年) 東京小石川水道町生まれ。東北帝大農科大学で教鞭を執るかたわら、1910年「白樺」に同人として参加。「かんかん虫」「ある女のグリンプス」などを発表する。1916年、結核を病んでいた妻が死に、さらに父が亡くなったことから教鞭を辞し、本格的に文学生活に入る。「或る女」「カインの末裔」「生れ出ずる悩み」などが代表作。 |
![]() | 新美南吉 (1913〜1943年) 愛知県半田市生まれ。16歳より童謡・童話の創作を始め、「赤い鳥」に投稿、「正坊とクロ」、「張紅倫」が入選。東京外国語大学英語部文科に入学。「ごん狐」「のら犬」など、作品が相次いで出版されるようになるが、1943年、29歳で結核により夭逝。 |
![]() | 小川未明 (1882〜1961年) 新潟県上越市生まれ。早稲田大学卒。坪内逍遥やラフカディオ・ハーンらの指導を受ける。大学在学時に作家デビュー。1921年には代表作「赤い蝋燭と人魚」を発表、雑誌「赤い鳥」などに多くの童話を発表、児童文学における最大の存在となった。1951年に文化功労賞を受賞、翌々年には芸術院会員となる。初代日本児童文学者協会会長。 |
![]() | 浜田廣介 (1893〜1973年) 山形県高畠町生まれ。早稲田大学卒。1917年、「大阪朝日新聞」の懸賞新作お伽話に「黄金の稲束」が入選したのを機に、児童雑誌「良友」から多くの童話を発表。1923年からは作家に専念、心あたたまる多くの童話を発表した。1942年に野間文芸奨励賞、1953年に芸能選奨文部大臣賞、1957年に産経児童出版文化賞を受賞した。 |
![]() | 椋 鳩十 (1893〜1973年) 長野県下伊那郡生まれ。法政大学卒。鹿児島県に教員として赴任してから作家活動を開始。戦後、鹿児島県立図書館長となり、「片耳の大鹿」、「孤島の野犬」など新作を次々と発表。戦時中に命の尊さと勇気や友情を訴えた作品は高く評価され、全国の小中学校の教科書に採用されている作品は数多く、その作品は海外でも評価は高い。また、「母と子の20分間読書運動」を展開した。 【写真協力】喬木村立椋鳩十記念館/椋鳩十記念館 椋鳩十文学記念館 |
![]() | 坪田譲治 (1890〜1982年) 岡山県生まれ。1925年、雑誌「新小説」に「正太の馬」が掲載され、1926年、最初の童話となる「正太の汽車」を「子供之友」に発表、「婦人之友」に「蛙」を発表。その他、「正太樹をめぐる」「枝にかかった金輪」を「新小説」に発表。その後、童話雑誌「びわの実学校」を主宰し新人育成に力を尽くす。 【写真協力】共同通信社 |
![]() | 今西祐行 (1923〜2004年) 大阪府中河内郡生まれ。1945年、広島で被爆体験をする。1951年「一つの花」を発表し新人賞受賞。色紙には人間の原点だからと「耕す人 漁る人」と書いた。相模原の藤野町で菅井農業小学校を開く。1975年、講演のため沖縄の戦跡を訪ね一木一草に胸を打たれる。1978年、「つちのふえ」と題した絵本を出版。 |
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